暮らしの気づき

日々の暮らしの中で気づいたこと感じたことを綴っていきたい

お姑さんの命日 お墓参り

今日はお姑さんの命日です。


お墓参りは今日降雪の予報だったので、昨日済ませておきました。


お姑さんが亡くなってもう30年以上経ちます。


ブログを書くようになって、いろいろ物事を考えるようになったせいか、


お姑さんのことについてもあれやこれや思い出すことがありました。


結婚することを決めてから、北関東にひとりで住んでいるお姑さんの面倒を見るため、


同居することが決まりました。


六畳二間とキッチンの小さい家に、東京からわたしたち若夫婦がそれぞれの仕事を辞めて、


引っ越ししていきました。


わたしたちが結婚するとすぐお姑さんはそれまでしていた勤めを辞めてしまい


無収入になってしまったので、毎月わたしたちの合計収入の半分を


仕送りしなければならなくなり


早く同居した方が楽になれると思ったのです。


夫もわたしも仕事先を決めて行ったので、心配いらないと思っていました。


でも落とし穴がありました。


お姑さんが紹介してもらっていたわたしの就職先が反故にされてしまいました。


そのうちわたしは子供を産み、六畳二間にわたしたち夫婦と息子とお姑さんの4人が


暮らすことになりました。


家計は20代前半の夫ひとりの稼ぎで暮らすようになりました。


心休まる場所も無く、気晴らしに話をする実家も遠く、友達も無く、極貧の家計。


100円玉の入っていない幾つかの硬貨を握りしめスーパーに買い物に行くことも


ありました。わたしもパート勤めをしたりしましたが、


わたしの人生史上最悪期になりました。



年老いたお姑さんの生活はわたしの老後にたくさんの示唆を与えてくれました。


体が弱く、お金が無く、子供と同居して世話になることがどういう気持ちなのか?



でもお姑さんの死際は見事でした。


いつもわたしが車でお医者さんに送り迎えしていましたが、


その時は風邪をこじらせて、喘息体質だったため、


ついに入院を勧められて、歩いて入院したのに2週間で亡くなってしまいました。


2男1女の子供たち皆に看取られて逝きました。 72歳でした。


嫁のわたしに介護をさせることは全くありませんでした。



その後、別の家で暮らしていた舅さんが亡くなって、


その家を夫に残してくれて賃貸に出せて賃料が入るようになり、


それまで姑さんに援助したお金くらいの収益があがるようになりました。


人生には長く生きてみなければ分からないことがあるようです。


辻褄が合いました。


今、わたしはお姑さんにはやれることはしてあげたと思って心穏やかにいられる。




火曜日は孫を保育園に迎えに行って夕飯を作り食べさせました。



野菜もモリモリ完食してました。



3年前、お姑さんの命日に孫が生まれました。