息子の子育ての思い出
昨日は息子の誕生日でした。
もう40代半ばになります。
1時間位で会える所に住んでいるのに
お互いに無事に暮らしているせいか
滅多に連絡を取ることも無く
もう2年弱会えていません。
息子を育てている時の事で
一番の思い出深いことは
私が独断で東京への引っ越しを
決断したことです。
息子が小さい頃は東京の近県の
夫の実家に住んでいました。
ある時、隣家の娘さんは県内トップクラスの
高校に通学している優秀な子でしたが、
共働きの家で1人子なのに
家賃と生活費と学費が払えないので
東京の大学への進学を諦める
という話を聞きました。
その頃私は息子は私の東京の実家に
住まわせてもらいそこから大学に
通わせてもらおうと思っていたので
進学させてあげられると思っていました。
ところが、息子が10歳位の時
父も母も1年と間を置かず
亡くなってしまいました。
もう東京の大学へ進学させてあげることは
出来なくなったと思いました。
その頃周りを見渡して、
大学進学させている家は
代々続いている農家の地主の家か
母親1人分の稼ぎを全部仕送り出来る
共働きの家の子ばかりでした。
そのうち実家の相続の時
私は土地を分けてもらい
夫と姑さんと息子と娘を巻き込み
周囲の大反対の中
東京への引っ越しを決行しました。
あのまま田舎に居たら
私達一家は間違いなく息子と娘を
大学進学させてあげることは
できなかったと思います。
大学へ進学することが全てでは無いことは
良くわかるつもりですが、
就職の時、大学卒業以上という
スタートラインに立てない
悔しさを味あわせたく無かったのです。
その頃東京に住んでいれば
普通の成績の子でも学費さえ工面出来れば
進学できました。
この引っ越しの件は
私の人生でも子供を産んだことの次に
重大な事件でした。
学校が荒れていた時代に転校させられた息子と
仕事の場所を変わらなければならなかった夫に
多大な迷惑をかけました。
自分勝手な私の真骨頂な事件でした。
今でもあの時何で引っ越ししたの?
と周りの人に聞かれることがあります。
東京にずっと住んでいる人には
分からないことなんです。
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