暮らしの気づき

日々の暮らしの中で気づいたこと感じたことを綴っていきたい

Audible で耳読&図書館で借りた本


『大河の一滴』


五木寛之      著


Audible で無料配信されていて、耳読しましたが、


本でも読んでみたくなり、図書館で借りてきました。


平成10年に出版された本ですが、コロナ禍で再ブームが起きたらしいです。


平成10年頃の日本は戦後最悪の不況が続いていて、


銀行が破綻したり、


平成7年には地下鉄サリン事件が発生、


平成9年には神戸の小学生殺害事件があったり、暗い世相だった。


今のコロナ禍の先の見えない不安な気持ちの時代と共通するのかもしれません。



大多数の人間が上を向いて希望を抱いて生きていけない時代に、


究極のネガティブ思考の本です。



 『人間はちっぽけな存在である。


 だが、それがどれほど小さくとも、草の葉の上の一滴の露にも天地の生命は宿る。


 空から降った雨水は樹々の葉に注ぎ、一滴の露は森の湿った地面に落ちて吸い込まれる。


 そして地下の水脈は地上に出て小さな流れをつくる。


 やがて渓流は川となり、平野を抜けて大河に合流する。


 その流れに身をあずけて海へと注ぐ大河の水の一滴が私たちの命だ。


 濁った水も、汚染された水も、全ての水を差別なく受け入れて海は広がる。


 やがて太陽の光に熱せられた海水は蒸発して空の雲となり、


 再び雨水となって地上に注ぐ。』 「大河の一滴」より




『人はすべて地獄に生まれてくるのである。


 鳥は歌い花は咲く夢のパラダイスに、鳴物入りで祝福されて誕生するのではない。


 しかし、その地獄のなかで、私たちはときとして思いがけない小さな歓びや、


 友情や、見知らぬ人の善意や、奇跡のような愛に出会うことがある。


 勇気が体にあふれ、希望や夢に世界が輝いて見える時もある。


 人として生まれてよかった、と心から感謝するような瞬間さえある。


 皆とともに笑いころげるときもある。その一瞬を極楽というのだ。


 極楽はあの世にあるのでもなく、天国や西方浄土にあるのでもない。


 この世の地獄のただなかにこそあるのだ。


 極楽とは地獄というこの世の闇のなかにキラキラと光りながら漂う


 小さな泡のようなものなのかもしれない。


 人が死んだのちに往く最後の場所では決してない。』 「大河の一滴」より




『人は苦しみ、いやおうなしに老い、すべて病を得て、死んでゆく。


 私たちは泣きながら生まれてきた。


 そして最後は孤独のうちに死んでゆくのだ。


 そう覚悟した上で、こう考えてみよう。


「泣きながら生まれてきた」人間が、「笑いながら死んでゆく」


 ことは、はたしてできないものなのだろうか。』  「大河の一滴」より




本文を長々と写してしまいましたが、


今、確かに「大河の一滴」を読んだという感動を記録しておきたい。



平成10年頃、子育てをしていた頃、辛いことがたくさんあった。


でも今この本を読んでみると、その辛いことの大元は自分の欲を


満たしたい気持ちからだったと思える。


はたして、「笑いながら死んでいけるか?」


古い本ですが、わたしには良い出会いの本でした。


五木 寛之氏の言葉の綴りかたに感心しました。




母の日の花束をもらいました。


ありがとう❗️


この嬉しい瞬間を極楽というのですね。